気付けば12月。
<プロローグ>
本当に時間が流れるのは早いものである。
児三郎が天国へ羽ばたいてからもう5ヶ月も過ぎ去った。
親友の死がきっかけになり、ようやく僕も日常生活に練習時間が入り込んできた。
最低でも一日20分は腹式呼吸をする習慣が身についたのです。
歯磨きのように、一日行わないと気持ち悪くなる、そして不安にもなるのです。
※食事中の方、以下ご勘弁下さい。
ところで皆さんはどのくらい排尿を拒んだことがありますか?
どなたでもこれは経験あることでしょう。
→僕は自分の限界まで拒みました。本当に意識が朦朧としたために、
身の危険を感じ用意してあったビニール袋に排出しました。
しかし、人間少しでも逃げ場があると限界まで到達できないようで、僕もビニール袋という
逃げ場があったため恐らく甘えが発生し、限界までは達していなかったであろうと推測されます。
ところが僕の友人の場合、ビニール袋も用意されておらず気絶寸前まで追い込まれため、
とある行動に出たのです。僕が乾いた喉を潤そうとなけなしの銭で購入したペットボトル(500ml)の
中身を全て捨て去り、僕が見つめる目の前であのか細いボトルの入り口から排出したのです。
彼のマグナムは見事なまでに収まっていました。しかし1本ではおさまりきらず、
数ヶ月前に購入したであろう半飲みになっていた空き缶(250ml)目掛けて続けて排出したのです。
これこそがまぎれもない限界だと僕は感じました。彼はこの出来事を全く覚えておりませんでした。
朦朧とした意識の中、彼は限界に挑戦していたのです。
ところで皆さんはどのくらい脱糞を拒んだことがありますか?
3日?5日?それとも10日?自然に便秘になるだけで拒んだことはないかい?
→僕は2週間が限界でした。破裂寸前だったのですが、毎日おなかが減るのです。
考えただけで恐ろしいです。ゲップをしたらウ○コ臭かったことがとっても思い出深いです。
結局、乳製品を使用して2週間分の汚物を排出しました。しかし、あまりの大きさと重量により、
便器の許容量、及び流水能力を完全にオーバーしてしまったようで、ピクリとも動きませんでした。
僕はこそっとキッチンから割り箸を拝借して、大好きな冷奴を切り刻むかのような鋭い手さばきで
汚物を切り離してゆきました。その結果、無事全てを流しきることができたのです。
その後、切痔で通院を余儀なくされました。
ところで皆さんはどのくらい歯磨きを拒んだことがありますか?
1日?5日?10日?そんなことしたことないかい?
→僕は正確な日にちは覚えていませんが、一週間は越えていたでしょう。
歯茎に膿が溜まって歯槽膿漏になりかけたところで限界を感じ、歯磨きを手にとりました。
前歯なんかもうグラグラになってしまい、若くして入れ歯になってしまうことを覚悟しました。
結局、歯磨きだけでは完全復活することができず、つまようじで膿の袋に穴を開け、
自分で丁寧に鏡を見つめながら膿を排出した苦い思い出があります。
僕の吐息の悪臭も相当だったと聞きました。
ところで皆さんはどのくらい連続でゲップができますか?
10回ですか?それとも20回ですか?
→僕は30回以上は楽勝です。体調さえベストであれば、40回はいけるでしょう。
なんといっても、小学生のときに開催されたゲップ大会で優勝した輝かしい過去があります。
マジです!ただし、これが癖になると非常に厄介です。普通にしゃべっていてもゲップが出てしまうのです。
僕はこれで何度も相手を不快にさせました。
ところで皆さんはどのくらい連続で放屁できますか?
10回ですか?それとも20回ですか?
→僕は30連発は楽勝でした。これは上述した脱糞拒否中の後半に差し掛かったあたりで達成されたのです。
1発デカイので終わらせることも可能ですが、小刻みに肛門筋を開閉することで容易に達成できます。
しかし、先日この記録が破られてしまったのです。僕がとある公園の便所に排尿行為に訪れた時のことです。
大便の方から荒い吐息が聞こえてきたのです。そう誰かが大物と格闘していたのです。
次の瞬間放屁が開始されました。ブヒッ!プゥ〜、ププッ、それはもうさまざまな音色で。
僕は無意識のうちに回数をカウントしていました。
彼の屁はとうとう30回を越えたのですが、その勢いは衰えないのです。結局そのまま44回は継続されました。
僕は目の前で堂々と記録を破られたのです。どうしても僕を越えた男を一目見たかったため、
じっと悔しさをこらえて待っていると・・、80歳は恐らく越えているであろうヨボヨボのご老人でした。
そんな馬鹿な・・という思いでいっぱいでした。水を流す音が聞こえなかったところをみると、
どうやら彼は放屁のためだけに便器に腰をおろしていたようだ。これはまぎれもないノンフィクションだ。
ところで皆さんは放屁と同時に脱糞したことありますか?
ない?そんな馬鹿な!それは嘘でしょう。下痢の時に経験ないかい?
→もちろん僕はあります。つい最近もやらかしてしまいました。
以上は僕の限界へのチャレンジという意味ではほんの僅かな項目でしかありません。
僕は自分でこれだ!と決めたことは限界までチャレンジしたい。
しかし、簡単に限界なんて見えるものではありません。
自分で限界と決め付けてしまっては、そこで成長は止まってしまいます。
本当に頑張って生きてるものにだけ感じ取ることができる、それが「限界」。
本当の限界が見えたとき、本物の挫折も味わう、そう僕は思います。
<第12回:死と友情と>
「この物語はある学園の荒廃に戦いを挑んだひとりの生徒の記録である。
バドミントン界において全く無名の弱体チームがこの生徒を迎えた日から
わずか数年にして全国優勝を成し遂げた奇跡を通じて
その原動力となった愛と信頼を余すところなく活字化したものである 」
あっ!そうだ。昨日からバド部の皆はその「限界」を知るために山へ合宿に行っているんだった。
僕は連続土日合コン記録を6週に延ばすため、泣く泣く合宿を諦めたのである。
いつものように起床後、新聞を抱えて戦闘準備を整えお手洗いを訪れる。
しかし、そこで見つけた記事に僕はパンツも下ろさず脱糞してしまうほど自分を見失ってしまった。。
『 川浜高校バドミントン部員を乗せた高速バスが転落事故
―生存絶望か?― 』
すぐ警察へ電話して生存を確認する。
こんな形で皆とサヨナラは嫌だよ・・。
『サヨナラ』
今までありがとう なんて言わない
無くした恋の思い出なんて
ただ自分を苦しめるだけ
サヨナラ
何かあったら連絡して
なんて言わない
去って行く君が
僕に用がある訳無いじゃないか
サヨナラ
元気でね なんて言わない
君が存在しないほうが
忘れられるから
サヨナラ
君がくれたマフラー、帽子、手袋
引き出しの奥にしまったり、出したり
駄々子のように俺の手を煩わせる
−ビートたけし『サヨナラ』より−
第13回へ続く・・・
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